人はみな、失敗を恐れて行動ができない事がたくさんあります。
誰しも失敗はしたくないものです。
安心をしたい、安定がほしい、安全だと思いたい。
もしかしたら、それは自分がそうやって思いたいだけなのかもしれません。
自分は安心がしたい。 安定が安全だと思いたい心
失敗が怖いのは、誰もが思う事ですよね。
例えば
- 人に嫌われたくない
- 仕事場を選ぶのを失敗したくない
- 安定を壊したくない
- 新天地に行ってまでもやるべき?
などなどありますよね。
みんな新しいことをしようとしたりする時は誰もがそう思うと思います。
けれど、それでは新しい自分は見つけられないし、挑戦すること、幸せになることも放棄しているかもしれません。
安全をとれば安定なのかもしれないが、心はどうだろう?
安定っていい言葉ですよね(笑)
私も好きな言葉です。
安定を求めている人って大半だと思います。
でもですね、安定という言葉でも使い方は色々ありますよね。
- 雇用の更新がないという仕事につける安定
- お給料が毎月変動のない安定
など。
安定、いいですよね〜^^
ですが、この安定ならどうでしょうか?
- 雇用の更新がない。けれども、仕事内容は大変で残業も安定にある。
- お給料は毎月変動はないが、自分が残業して頑張ったけれども賞与など変動のない安定。
これも、実は安定なんですよね。
人は安定というのはプラスの印象が強いからか、安定=安全と言いますが、マイナスの意味での安定なら、きっと
嫌だ!!( ゚Д゚)
って思う人がいるはずです。
でも、それって私たちは、自分のいいように解釈しすぎていて、言葉一つにも表と裏があるという事に気づいていないのかもしれません。
安定=安全
という表と裏を見ることをしないのは、自分が解釈したいようにする、
または、安全な道だと思いたかったり、
自分が安心したいだけなのかもしれませんね。
自分はしっかり意味を理解している!そう思うのは盲目状態にあるかも?
そんな中でも、必ずこういう人がいます。
自分はしっかり、意味や行動ができている!
という人。
こういう状態は、結論から言えば、周りを見れていないのかもしれません。
安定というのは何か?
安全とは何か?
安心とは何か?
と考える時に、自分の行動を出来ている!と自負する人が沢山いると言うことです。
その人達からしてみれば、
"あんた、なに言ってんの?"
と思うことを今、私は言っているかもしれません。
それが、どうして良くないか、と言うと、話が聞けない状態になっている可能性が大きいからです。
何故、そこにこだわってくるのかと言うと、
人の話からヒント得て、客観的に的に自分を見ることが"自分を知るための方法"だからです。
そのような状態で、客観的に人を見れている、または自分を見ることができている。自分を理解しているというのは、
映画に出てくるような悲劇のヒロインになってしまっている状態です。
- 自分は悪くない。
- 自分はこんなにも頑張ったのにこの人たちに悪口を言われている。
なんて思うとしたら、少し注意をして自分を見てみる必要があります。
客観的に見る時、気をつけるべきは感情
客観的に見る時に、気を付ける点は、自分のは今、感情に流されていないか?と言う事。
自分を冷静に感情に流されずに客観的に見る事ができないと、なぜこの感情が沸いてくるんだろう?とか原因、対策なんかを見つけにくくしてしまうのがこの感情。
また、感情に感化されてしまうと、人にコードや念を簡単に飛ばしたりしてしまうので慎重に対処しなければいけないのが、この感情だったりするんですね(=゚ω゚)ノ

自分にとっての本当の安定とは何だろう?
安定というのは一言で世間でいう、ある程度の収入と地位。
生活基準ができる事なのかもしれません。
けれど、それって本当に自分にとって求めるべき安定なのか?
と私に問われたら、そのようなものに本当の安定を感じません。
私の安定は心にゆとりがある事。
人それぞれ感じる安定は違うかもしれませんし、そのような安定などを考えよう、見ようともしないかもしれません。
では、自分にとっての安心、安定はなにか?とここまで読んでいただいて感じる方はぜひ、この質問をやってみてください。
では、軽く私が質問してみます。
- 安定を求めたらなにになりますか?
- 幸せですか?
- どの辺が?
このように自分を客観的に見ていくことで、
"自分が求めている安定や安心はなんなのか?"
と言うことが薄っすらでもわかると思います。
人は自分の嫌な所は見ない傾向があります。見たくない生き物なんです。
ここでもお話しました↓

自分の悪い部分を見ていくと恥ずかしいと思うような事がたくさん見えてきますが、恥ずかしい事なんてないんですよ。
意外と自分という人間を知ることができ、新たな発見があり、選択肢を増やすことができます。
まとめ
今日は安定を求めるのは自分が安心していたい、自分は安全と思いたいかもしれないと言う事をお話しました。
けれど、この安定という言葉の反対は不安定。
という知識はあっても、言葉そのものの裏側をみたりなんていうのは中々しないものです。
ようはとんちと一緒ですが、
そういう裏側を知らずに安心してしまっている状態は
自分がそう思いたいだけで、自分を客観的に見れていないからかもしれません。
安定とは?自分にとての安心とは?
と少し考える時間が出来たらいいのかもしれません。
皆さんの本当の安定、安心を見つけられることを祈っています。
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