私は以前、完璧主義者でした(*’▽’)
その完璧にしなきゃいけないという感覚ができたのは、初めからではありません。
人生の途中からふら~とやってきた完璧というもの(笑)
その完璧主義がどれだけ自分や周りを苦しめていたか。
今日はそんなお話です。
いつの間にか子供に完璧を求めていたら、荒れました(笑)
完璧主義者と言われたら、私は完璧主義者というより完璧を求めている人。
完璧になれない人だから完璧を求めていました。
そうなったのは、十代で母親になった時です。
世間は十代での出産を良くは見ない人ばかりと妊娠をして感じました。
自分に一番近い人、親戚や親の反応がそうだでした。
出産は家出同然で出産しましたから、まぁ仕方ないですかね(笑)
家に子ども連れて帰った日にはとても面白い反応でしたね(笑)
そこから、親戚の攻撃は始まりました。
子供のする事だと、親戚中から白い目でみられ、後ろ指を指されました。

あんなに若いのに子供が子供を育てるじゃないか。

生まれてきた子供がかわいそうだ。

稼ぎもないやつが子供なんて産むな。

周りに恥ずかしいから、子ども隠して生活しなさい。
その鉾先は次に母親に向かいました。
毎日嫌味を言われる母。
その姿を見て、何度も泣きました。
何度も死のうと思いました。
何度も自分を恨みました。
でも、その度に息子に助けられました。
世間からの声はあまりにも悲しい声でしたし、そのあたりから完璧を求めだしていきました。
限界に感じ始めたとき、自分にはこんな事が…
息子が保育園に行き始め、私は昼夜仕事をしていた頃です。
完璧にいいお母さんにならなきゃと、自分に言い聞かせていました。
夜、どんなに遅くても朝は息子を送り出すのが当たり前。
ご飯は手作りが当たり前。
布団は毎日畳むのが当たり前。
保育園行事に毎回行くのは当たり前。
父の病院にも1日に2回が当たり前。
この生活が自分の中でいつしか苦しくなって行きました。
毎日1、2時間の睡眠で365日働いて、家も保つことをして。
母に頼りっぱなしは嫌だと、見栄を張ってやれもしないこともやって、それでも弱音を言える人なんていませんでした。
次第に息子にもこのイライラや心の中は伝わり、母にも八つ当たりしてしまったり。気づいた時には自分の体を壊していました。
そして成長するにつれ、息子、荒れました(笑)
どんな風に荒れたかといいますと、お話できる範囲ですと、警察にお世話になったわけではないですが、まー学校では問題児ですよ。
何度、お友達の親御さんに謝りに行ったか。
何度、学校に呼び出されたか…
息子は荒れ放題(笑)
毎日、息子はパリピでしたね(笑)
悪循環に陥るのは秒。悪いものは更に良くないものを呼ぶんです。
一度、悪循環に陥ると、さらに陥るのは秒です。
※秒とは=秒速
悪循環が悪循環を呼びまして、そしてまた、悪循環を作り上げるわけです。
その時、私はどうしたか。さらに完璧を求めました。
バカですね~(笑)
完璧を求めるのは自分の為
初めは子どもに恥じないような親になろうと決めた完璧さ。
でも、いつしか、その完璧は息子にとって重荷になっていました。
それもそのはずです。
完璧を目指していたのは息子の為ではなく、自分の為になっていたからです。
- 世間から何も言わせない。
- 親戚中に見てろよ!見返してやるからな!
そんな負けたくない気持ちが大きくなっていたからです。
それを子どもにまで背負わせていたんだと荒れ始めた息子の姿を見て知らされました。
人間てバカですよね。
荒れた姿をみても、更に完璧を求めるから。
それに、荒れた理由は自分と考えずに
- 何でこうなった?
- 育て方を間違えた?
- 何で私の気持ちを分かってくれないの?
と被害者ヅラするのですから。
こういう状況を作ってしまったのは自分と考えなかった。
- こうなったのは、小さな頃に一緒にいる時間が少なかったから。
- 欲しいものを我慢させたから?
- どこか遊びに連れて行ってあげれなかったから?
そうやって環境や物のせいにして理由を作り出そうとしていました。
言い訳や理由を他に探して、自分には非がない。そう思いたかった。
完璧を求めた末路です(笑)
負けない気持ちは大切だけど、自分の心を忘れていませんか?
負けないという気持ちは大切です。
でも、時にその気持ちは刄になります。
自分にも、周りにも。
完璧を求めていたころを振り返ると、苦しかったの一言です。
『あの時、自分に何が足りなかったか?』
と言われたらこう答えます。
『自分がなかった。』
自分が周りに流されずに大切にしているものをしっかり分かっていれば、良かったんだと。
流されない程に自分をしっかり持っていれたら、そんな事に執着しなくてよかったのに…と思っています。
そりゃ、完璧になんでもできたならいいでしょう。
完璧ってなんですか?
完璧って非の打ち所がないということですよね?
じゃあ、完璧というのは周りから何も言われなければいいのでしょうか?
そのスピリチュアルは本物ですね!!と言われれば完璧でしょうか?
あなたは完璧な人だ!と会う人会う人に言われたら完璧なのでしょうか?
完璧というものさしを作たのは誰かであり、自分ではないんですよね。
その世間に合わせ、自分が苦しくなるなら、それはすでに完璧ではなくなります。
自分が苦しんでる。
自分が悲しんでるじゃないですか。
そんなの完璧なんかじゃないですよ ^^
完璧主義は息子のおかげでなくなりました。
でも、いまだにヤンチャボーイですが、私はそれでいいと思っています。
以前よりも明るく、自分の気持ちを言うようになりましたから。
完璧主義の自分にアドバイスをしに過去へ飛ぶ
自分の人生を豊かにするため(選択肢を増やす)には、見なければいけない過去がありました。
それは、完璧主義の自分を癒しに行く事。
息子のおかげでなくなった完璧主義の自分ですが、まだ完璧ではなかったんですね。

おいおい、すでに完璧って言ってるじゃーーん。
はい、言っていますね(笑)
完璧の意味が違うんですが、自分以外の外側からの完璧(誰が見ても非の打ちどころがない完璧)とエネルギーでみた完璧。
そのエネルギーの完璧でさえ、本当に完璧にはなりません。
そこまで行けたなら後は自分で行けるでしょ。という感覚です^^
いわば、完璧に近いかも?な感じです(笑)
完璧を求めている原因と友達からのメールの関係
過去の私に会いに行くと、目からは、生気が抜けていて、ひとりポツーンとケータイに電源いれて、メールの受信ボックスをみていました。
このころ、何もかもが嫌になり、ケータイの電源は切りっぱなしでした。
親戚からは友達は全て切るようにと言われ、中学の友達、高校の友達とは関わらなかったからです。
恥をさらすなという意味でしょうね。
電源入れた途端に来たメールを読む自分の背中を見て、

こりゃ病んでるな(笑)
過去の自分をみて笑えました。
周りに言われた言葉を真に受けて、素直に傷ついてんじゃないよ!
と後ろからどつきたくなりましたが、それでは癒されませんから、
過去の自分に話しかけ、返ってきた言葉は世論でした。

子供産むことがそんなにいけない?
私ってそんなに恥ずかしい存在?
友達に会いたいよ。
本当にその通りです。
子供を産むことがいけないわけじゃない。
早かっただけ。ただこの世の中の流れの中では早すぎただけ。
それに、友達を避ける理由なんてなかったんですよ。
過去の私のケータイからは、急に学校に来なくなった私を心配するなん十通ものメール。
それが苦しくて仕方なかったようです。
この過去の書き換えを行う事は今の私にとっても【苦】の一言でした。
その過去は無事に癒し終わり、
こんなにも傷ついていたのかと客観的に思ってしまいました(笑)
完璧主義な所は息子に気づかされ、完璧主義のブロックは自分で外せていましたが、その完璧主義を完璧に癒すには、人を寄せ付けようとしない所を癒す必要があったんです。
この過去の書き換えは直接関係ないように取れますが、大いに関係あります。
自分が未熟だったから→完璧になれば大切なものを失わないんじゃないか。→なら完璧になろう。
そう心の中で変換され、芋づる式のように癒すべき場所が出てきたのでした。
選択肢は山ほどあるのに、素直に従っちゃって(笑)
若いなー。自分。
まとめ
完璧は求めるだけ疲れます。
だって、自分の為の完璧ですから。
完璧にこだわってしまうと自由度は下がります。どんどん選択できる道はなくなります。
たくさんの道を自ら狭めないで、選択でき、なお、楽しいに越したことないです。

楽しいと思って仕事や家族を養えないじゃない。あまい!甘すぎる!
と私の親戚ならいいそうですが、

それは違いますよ。
自分が選んだ道ぐらい、自分で切り開く気持ちで行かなきゃ、自由なんてやってきませし。
やりぬくから自分で道を決めるんです!!
そんなの、自分が出来ませんって白旗上げてるのと一緒ですよ。
と今なら言ってやりますよ(笑)!
それに、今は現実に上手くエネルギーを取り入れていますから、絶対に負けませんし、自分で切り開いていく自信があります(笑)
完璧という言葉は人が型にはめた言葉。
私は、今では完璧という言葉に感謝もしていますし、完璧の重要さもわかります。
完璧が悪いことではありませんが、自分自身にとっても周りにとっても幸せになれない完璧は完璧ではないよ。という事を気づいてほしいと思っています。
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