自分の目指すものを新年や大きな大会前には良く掲げさせられました。また、前職でも毎回目標を掲げるのが当たり前の中で思ったことは目標なんて大嫌い。
ですが、今は目標を持つことは大切だという考えに変わりました。
それはどんな事がきっかけで思ったのでしょうか?
今日はその事についてお話しをしてみたいと思います。
目標が嫌いだったのに、今は沢山の目指すものがある
目標は嫌いでした。
『掲げたい人が掲げればいいじゃん。そんなに気持ち押し付けられても…こっちからしたら迷惑。』
と言うのが今までの私。それぐらい目標を作るのが嫌いだったんですよ。大会やら勉強やら…
一生懸命に何かをすることではなくて、枠を周りや会社の方針で決められてその中で頑張らなきゃいけないのがどうも納得できない性格だったんです。
なんて奴だろうか(笑)
枠は自分で決めたい(*’▽’)!!
と思いませんか?
人生の目標はなんですか?
”人生の目標はなんですか?”と聞かれたとき、昔の私は何もありませんでした。
『理由は頑張ったって何も出来ないじゃん。諦めるしかないんじゃん。頑張るだけ無駄。』
という理由です。
本当になんなんだろうとこいつ(笑)
という感じですね。今思うと嫌な奴だと思います( ;∀;)
勉強ができるわけではなかったし、やりたい!と思うことは選べない環境、頑張るという事をするだけで自分が惨めに感じ始め、負け癖が当たり前になりつつありました。
頑張るとついてくる惨めさ。
友達はデザインや服飾を学ぶために専門の学校の道を選らぶこどができ、隣にいる自分は『アナタはここまでしかできないわ。』と区切りをつけられているようにも感じていました。
天界のサポートで受けれたセミナー
私は、 エネルギーを習う時は本当に迷いました。
その時は、休職中だったからです。
腰を痛め、手術かなぁー。とお医者さんに言われていたし、お給料もないわけですから金銭的な理由でも本当に悩みました。
ですが、何んでだかわかりませんが背中を押されるように受けることが出来たんですね。
後々わかったことですが、天界のサポートがあったんです。
金銭面もこれで受けなさいね。と言われるようにタイミングがいい臨時収入や休職という事でできた自分の時間。
そして、精神面での変化がありました。自分の中に何か強いエネルギーと言いますか、走る時の踏み込む力のようなものが自分の中にある事に気付きました。
そんな力なんて、とうの昔に忘れていたと思ったのですが、踏み込む力のようなものが私を動かしてくれました。
その力を信じ、チャレンジをしてみた結果、正解でした。

力を信じる事
この踏み込む力のようなものが大人になるにつれて無くなって来るように思います。
ある意味落ち着いたね。とか丸くなったね。と表すのでしょう。
すると、挑戦というものを段々としなくなってしまいます。
そして、何かに挑戦する人が美しくみえたり、妬ましく思えたりします。
ここで、その人の心のあり方がわかりますね。
歴史上で有名な人は今もなお、美しい姿でドラマなどで描かれるのでしょうか?
私はこぅ思います。
チャレンジし続けていた姿が私達には時を経て、輝くものになっているのではないかと。
当時はもしかしたら、周りに罵倒され、嫌な目で見られていたかもしれません。その中でも自分を貫き生きたという形が今の私たちに真似ができないからこそ、美しく映っているのではないか?と。
あくまでも私の個人的な意見です(笑)
ひっくるめて、大人になってから踏み込む力を感じたら、それこそ貴重だと私は思います。
自分の存在価値は自分で決める
自分の価値や自分が出来ること、自分がやらなければ行けないことなど、考えることが多くなり、自分を見失う事や周りの為に自分を隠していきます。
すると、
- 自分ってなんなんだろ?
- 自分てここにいる意味あるのかな?
- なんでもっと楽に生きれないんだろ?
と思うことが多くなり、自分の意志はそっちのけで周りに評価を求めてしまったりします。
本当は、一番自分が自分を評価してあげれなければいけない事を忘れてしまいます。
自分の価値は自分で決める。周りではありません。


目標を持つこと
あんなに嫌いだった目標。今では目標の大切さを実感します。
こうなれたのは、自分の心が豊かになり、自分が進む道の選択肢を増やすことができた事で、自分で目標を決めているから行えます。
周りの評価やお金、会社の方針の目標ではなく、自分自身で決めた目標。
誰かに決められての道なんて続かない。自分で決めて進むからこそ、後から色々とついてくるんだと思うのです。評価も、お金も、信頼も、心の豊かさも。
学生時代に出来なかった事、頑張れなかった事は大人になった今、やっていこうと思っています。
だからこそ、今は沢山の目標を持ち生きています^^
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