みなさま、こんにちは。
本日の記事は
とい内容で書いていきます。
限りがあるからこそ見つけられる大事さや大切さ。お金が多ければ幸せ?
私は、限りがあるからこそ大事さや大切さを感じられると思っています。
以前、こんな風に言う方がいました。
『お金がない人ほど何をするかわからないし、欲の塊。』だと。
つまり、使えるお金が少ない人(限りがある人)ほど何をするかわからないと言っていたんですね。
正解なような正解ではないような歯痒さを覚えたことがあります。
使い方を知らなければ悪になるお金。乏しくならない豊かさを。
その後、とても頭を悩ませました。
本当にお金がないから、豊かではないのか。かわいそうなのか。
お金は生きるためのツールであるため、切り離すには難しい一面もありますが、全部を直結して考えるのはどうなのか。
もしかして、全ての豊かさをお金に依存していればそのような考えになるのでは?
などと考えた結果、このような答えに辿り着きました。
– 自分自身がしっかりしてれば問題ないんじゃない?
自分が幸せなのか、豊かなのか。
ルールを破るのか・破らないのかを決められる自分があれば なんの問題もないじゃないか −
という答えでした。
世間からすれば、お金が無いとなると法律も守らないし、プライドもない。
何するかわからないと判断されがちなのも理解はできますが、私は、腑に落ちません。
みんながみんなお金が無ければ人格を無くすのか。
ルールを破るのかとなると…大間違いです。
その答えにたどり着いてしまうのは、とても乏しい考え方で偏りがある。
限りがあるからこそ大事なものを見つけられると実体験からも感しているからです。

無限であれば無駄に使い、限りがあれば活用する。
"限りがある"というのは、ある意味 終わりを意味します。
無限は終わりがないことを想像しますが、この"無限"というものの使い方をあまり知りません。
目に見えるものでもないし、理解も薄い。
けれど、自分の生きれる時間はいつか終わりを迎えるだろうと思うぐらいで、
実際の意識としたら、肉体が終わるなんて遠い未来の話だとさえ思うもの。
実感がないから大切に使うことができないし、意識の仕方が曖昧過ぎて、使い方も計画も立てずらい。
私なんかも夏休みの宿題、まだ1ヶ月あるし〜って言いつつ最後の1週間で夜なべして宿題をした覚えがあります(笑)
これも、夏休みが終わるなんて、なんとなくの無限を感じていたから、必要な宿題を後回しにしていたんですね。
このサイトも同じです。
サイトやブログ、コンテンツがいつものように運営できていると思いがちですけど、
サーバーの問題である日突然、サイトが消えちゃうケースもあります。
ですから"限り"って私たちにその物の必要性を感じさせてくれるのではないでしょうか。
限りある中で味わえる幸せを見つけましたか?
"限りあるもの"は、例えば私たちの肉体や家族と過ごす時間やお金、携帯電話などの物質が出てきます。
この"限り"がもし、無限に約束されているとしたらどうでしょうか。
Bellであれば100年ぐらい寝て、ダラダラとしていたいです(笑)
無限だったら、無駄に暇を持て余しているんじゃないかと想像がつきますし、
大事なことや大切なものを後回し後回しにして生きているでしょう。
時間に限りがあるからこそ楽しい時間を過ごしたいと思うし、
お金に限りがあるからこそ必要・不必要を考えることをする。
もし、ここが無限だとしたら、楽しい時間を過ごそうと努力をしないし、
お金が無限なら、色々と欲しいと思うものを買って、本当に自分が欲しているものを知ることもない。
無限(という感覚)とは使い方を誤ってしまえば、努力や知ろうとする意欲、向き合うことをしない傾向も高めてしまいます。
時間があれば、お金があれば、物があれば幸せとは、本当に幸せとは限らないということです。
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エネルギーワークでも"限り"がある。あなたではなく、必要なのは違う人。
エネルギーを測っていると、
- これはしていい。
- これをしてはダメ。
と言われることがあります。
例えば浄霊や浄化系はこのように言われます。
その事柄に向き合わなければいけない人物がいて、
第三者の私が解決してはいけない問題が絡むからです。
前世トリップなんかも同じような要素があります。
『〇〇の前世を見てください。』
と指定されてご依頼をいただく時がありますが、私が触れていい前世・見ていい前世でない場合があるんですね。
エネルギーワークにも"限り"が存在するんです。
エネルギーを見る相手や心エネルギーの状態、エネルギーを測る自分の状態によって限りも出て来れば、
カルマや試練、気づきや学びが絡んでいる場合もある。
お金を出せば得られるのかといえば違うし、時間をかければ得られるのかと言えば違う。
けして得られないものがあるという事です。
そこを踏まえ、上記で言っていた"限り"とは、本当にマイナスだけなのでしょうか?
量が豊かさの時代と今の時代の流れ。乗り遅れている人は豊かさを失ってしまう未来。
多ければ、量があれば幸せの時代ではなく、
その中で必要とするもの、自分に必要なものを見つけるスキルが必要になる時代です。
この時代の流れに気づかないと、いつまでも時代遅れの"量"ばかりにこだわり、
流れに逆らうために労力を使い、貧困や自分を見失ってしまうのだというのを頭の隅に置いておきたいもの。
どれだけ自分が豊かさを見つけられるのか。
どれだけ自分が幸せを感じられるのか。
どれだけ自分の気持ちをとらえられるのか。
自分の中のなんとなくの無限から"限り"を見つけられるのか。
限りがあるからこその活用を、みなさんは既に見つけられていますか?
私はと言うと、エネルギーワークが板に着くまでは、なんとなくの無限から"限り"を見つけることが出来ませんでした。
最近ではキャンプが流行り、【不便を楽しむ】という言葉が生まれましたが、
このようにマイナスをプラスへと変換することが苦手だったんです。
そこから何年も過ぎて今は、マイナスの活かし方を考えて行動に起こし続けています。
その甲斐あって、ブログを通して皆さんと出会えたと感じています。
"マイナスをどのように活かす(生かす)のか"
これは、今後も止まることのない私の課題です。
記事を読んで、自分のマイナスな所に嫌気が差している人やお金が無いことが不幸なのだとか周りの人に合わせることが苦しいと感じて生きている人へ、
少しでも希望や
「こんなアホみたいなやつ(Bell)もいるんだな〜自分にもできるかも?」と思ってくれたら幸いです。
それでは、素敵な一日をお過ごしください°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
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