この地球で生きている限り、私達は、〇〇をしなければならない。
という社会的ルールを守らなければいけません。
ルールを守らなければ、この生きにくくなるためです。
ただ、そのルールは、大きいものも小さなものも、そして、それ、本当に必要なのかな?
思うようなルールも存在します。
何かをしなければならない。自らルールを作り、苦しめていませんか?
この地球で、日本で暮らすには、必要最低限のルールがありますよね。
- 車に乗るなら、税金を。
- 食べ物を買うなら、消費税を。
みたいにルールがありますが、地球、いえ、日本で生きていくにはこのルールを守る必要があります。
もし、
「そのルールを守らずに生きたい。」
と思うのであれば、日本とは違うルールがある、他国への移住を考える必要があります。
つまり、“ どのルールで生きていくか ”は、ある程度、私達が選ぶことが出来るということになります。
もちろん、犯罪なんかはだめですよ^^
ルールは扱う人によって、伝わり方が変わる。ルールにとらわれているのは、自ら作った鎖。
さて、ルールとは、そもそもは、争いが起こらないようにと設けられているのが本質であり、従わせるためのものではないんですね。
グループを取りまとめるリーダーが、争いが起こりそうになった時、ルールに則って判断をすることにより、偏見や思い込みなどを極力無くすことができます。
また、ルールを守る事で、ルールに守られることがあるわけです。
ただ、このルールを藪から棒に扱う人がたまぁーにいて、傲慢に扱ったり、自分の地位を確立させる為に使う人もいます。
「ルールだから、当たり前でしょ。」
とルールを守らない人や知らない人へマウントをとるために、また、人を従わせるために使う人がいるということです。
そもそも、ルールは、使い手がどのような人が、使うかでルールの伝わり方は違ってくるんです。

ルールを守る必要と必要じゃない時。みんな、そして自分にとって、成長や良くなるためのルールですか?
私の家では、ルールがあります。
“ 無理なものは無理に行わず、得意なことをやる。どうしてもやらなければいけない事は、みんなで助け合う。 ”
つまり、役割分担をしています。
ご飯作る人、掃除する人、回覧板を置きに行く人みたいな(笑)
また、家族はグループ、集団行動だということを意識するように話し、言いたいことはお互いに言い合う関係を極力作っています。
ケンカして、ぶつかって、言いたいことを言い、そして、最後は親、子関係なく、謝る。
親だから謝らなくていいとか、子供だから謝るみたいな風習は、うちには一切ありません。
子どもに悪いことをしたら、謝るし、必要な時は土下座する(笑)
親としての見え方のプライドなんていらないと思ってます。
何が言いたいのかというと、
その風習(ルール)は本当に必要なルールなのですか?
ということです。
そのルール自体が、あなたを縛り付け、周りも縛り付けているかもしれない。
ということです。
そのルールが自分を苦しめています。本当に必要?鎖を外すことに目を向けよう。
“〇〇しなければいけない。”
というのは、どこの県でも、どこの国でもあると思いますが、それは、本当にするべきものなのでしょうか。
例えば、
- 新入りは、早く来て掃除をしないといけない。
- 嫁は、旦那さんの親の面倒をみなければいけない。
- 良い会社に就職すれば、将来は安泰。
みたいな、古き暗黙のルールや風習的なものがありますが、それを掲げて、強制的に押しつけているようにもとれます。
先程も言いましたが、ルールは、使う人によって変わります。
もし、仮に新入りが…というルールがあるのなら、新入りさん以外の人は、掃除をしてくれる人へ感謝の思いがあるのか?ないのか。
嫁は…というルールなら、義母・義父は感謝や有り難いこととして考えているのか。
いい会社に…という考え方があるなら、絶対に安泰ですか?今は大手企業も倒産をしますからね。
これは一例ですが、当たり前なものなんて何一つありません。
家族が笑って過ごせるのも、誰かが返信のメールをくれるのも、健康であることも、朝、起きていい天気だなぁなんて思えることも。
当たり前ではありません。
けれど、毎日、続く素朴な幸せを、いつしかは“幸せ”ではなく“当たり前”とし、さらに良い生活をしたいと望んでしまうものです。


競争するのが成功?心のバランスを崩します。離脱することも視野に入れてみよう。
その望みさえも、実はルール。
- 「お金を稼いだ人が幸せだ。」
- 「人が多い街に住んでることがステータスだ。」
みたいに、自らルールを設け、競争社会へ入り、競争しようとします。
以前のBellもそうでした。
でも、天界と繋がって、エネルギーを測るようになって、それは自分で作り上げた願望だったと気づきました。
望みが悪いとは思いません。
望みを叶えるために、競争したいとか、挑戦したいと思うのであれば、何も言いません。
ただ、本当にあなたが、その競争を望んでいるのかが重要です。
毎月10万円のお給料だった人が、ある時から月に500万円稼いだとして、初めの2ヶ月間は幸せでしょう。
欲しいものも買いたいものもすぐ買える。
自分の欲しいもの、食べたいもの、行きたい場所などにすぐ行けるツール(お金)が出来たわけですから。
2ヶ月後、きっと毎月500万円は稼がないといけない。という自ら作り上げたルールに縛られて生きてしまいます。
500万円稼げなかったら、自分に自信をなくすし、生活していくのにも不安をもち、
「明日からどうしよう。稼がないと、やらないと!」
と、体力も心のバランスも崩れはじめ、このルールに行動や心が縛られていきます。
その競争の中で生きていくために作り上げたルールがあなたを苦しめ、堕とします。
私自身もこの経験をし、お金=幸せが直結しているのは違うのだと気づきました。
お金を稼ぐ事は素晴らしい事だけど、お金を稼ぐことをしている間に過ぎ去っている家族や友人との時間、いつの間にか悲鳴をあげていた体が、突然、動かなくなった時に気づいたんです。
体があって、時間がなければ、なんの意味もないと言うことに。
そこから、競争をすることをやめました。
自分で作ったルールは力をくれる時もあるが、使い方を間違うと落ちていく。
時に、自分で作ったルールは、時に私達に力を与えてくれます。
「頑張ろう!」
と力をくれるときもあります。
ただ、使い方を間違えてしまうと、どんどんと奈落の底に落ちていくように、体も心のバランスも崩していきます。
そして、波動も下がり、コードも刺さり、潜在意識はあなたと壁を作ります。
バランスを崩しているのなら、一度、その競争やルールが自分に必要なのかを見てみてください。
また、離脱することも視野にいれましょう。
必要でも、今はできないと思うなら、時間を空けてチャレンジすることもできます。
今がその時でないだけかもしれない。
あなたは、違う道に歩く必要があるのかもしれない。
そのルール、本当に必要ですか?


私たちの課題は、ルールを守らないからなのか。いつの時代も、目に見えないものが怖い人間。
今、世の中はコロナで敏感になっていますよね。
けれど、それと同時に差別も始まっています。
マスクをするのが常識と考える人もいれば、肌が弱くマスクをすることができない人もいるでしょう。
マスクだけ、コロナに限りません。
自分は当たり前に守っているからと、上から人を見るように、軽視したり、差別するような流れがありますが、とても悲しいですよね。
“ルールが守れないからいけないのだろうか?”
と日々、疑問を抱きます。
本質はそこなのだろうかと。
いつの時代も、人は見えないものや新しいものに恐怖を抱くのでしょうね。
それでは、素敵な一日をお過ごしください°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
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