突然ですが、
“今、目の前に大勢の人がいます。
そこで、アナタが今欲しいと思う物を大勢の人に向かって叫ぶ事は出来ますか?”
と聞かれて、大勢の中で叫ぶ事ができますか?
(実はこの質問、後半の部分に出てきます。)
答えが出てくるまでに時間がかかる人はもしかしたら、本当に欲しい物ではないのかもしれないですね。
と言う記事にしていこうと思います。
鏡よ、鏡。自分を映して見せて。っていうMy鏡見つけませんか?承認欲求は程々に。
なんで冒頭からこんなことを書くかと言うと人って自分を開示する、自己開示って苦手な人が多いもの。
自己開示というのは、自分はこんな人間ですよーっていう事を言える事です。
コレって大事なんですよ。
これ出来ないと、スピリチュアルだけじゃなくて、友人関係とか会社関係とかで上手く事が運ばなくなって、終いには心が病んじゃう。
ってなるんですよね。
本日の記事で、
自己開示をすることで自分はどこに承認欲求を求めているのか、自分はどの基準で生活しているのかを見つけてみてくださるととてもうれしく思います^^
頑張りたいの?それとも、認めて欲しいの?
大体の人って、周りの意見、周りの平均、周りの目線などなどが基準で生きている人が多いです。
例えば、友人と同じデザイナーになり、友達は見事にデザインを任される事になって、自分はまだまだアシスタント。

あーなんで私はいつになってもデザインを任されないんだろう。あんなに頑張って、コンクールも優勝したのに…なんで?なんで友達だけ?
みたいな状況。
その他にも、
- もっと身近にすれば、兄弟で弟だけ親に褒められた。
- ダイエットしなきゃ、モテない。とか。
これと周りの基準で生きてしまっていると言うことがどう繋がるかと言いますと、
“誰かに評価されたくて、認められたくて、自分の存在を知って欲しい。”
っていう、
他人に認められる事に価値があって、自分がやってきた事を認めてもらいたくて、自分の存在を印象つけたくて。全て外側、周りの評価で自分の評価点数を出してしまっている。
という事になるんです。
これが承認欲求です。
他人に認めて欲しいんです。
大人になっても成績表ばっかり気にしてる状態で、それも成績表が1つじゃなくて無数に。
大人になるにつれ、関わる人の数だけ、人から認められ方・見られ方という成績を気にして、こだわりすぎてしまう。
外側でしか自分を知ることが出来ない、評価する事が出来ない状態になってるという事。
鏡がない世界にいるみたいですよね。
成績表、いつまで見ているんでしょう?
かかわる人の数の成績表をつくるのでしょうか?

いやいや、そんなん、自分を持ってるよ!
って言う人もいますけど、自分をかばって見るべき所に蓋をしてみているつもりではいけないのですけどね。
本当に自分を持っている人の違いは、行動も違ければ言葉も違います。なんらかの理由で行動ができない場合であっても、エネルギーも違います。

自分の事を外側に評価を求めている人は、心をさらけ出すことしてる?自分を見つめることしてる?
【そもそも、なんで外側に自分を映して生きているんだろうか?】
って所も見ないといけない部分です。
よく、女性は季節が暖かくなり始めると肌を出す機会があるからとダイエットをし始めます。
それが悪いと言いたいのではなくて、ダイエットをする理由が重要なんだよ。という事が言いたいのです。
では、このダイエットに隠れている自分の承認欲求はどこにあるのかと明確にしてみましょう。
ちなみに、皆さんはなんだと思いますか?
私が見るからに、細かなものを抜き、大きく分けて
- 自分をよく見せたいから。
- 何か取り組みたい理由があるから。
この2つではないかなぁーって思うんです。
この2つの違いは
外側に基準がある事と内側、自分の中での基準があると言った違いがあります。
外側ばかりの、見たくれ(外見)ばかり気にしてしまう、気にするだけならいいんですけど、その事に溺れてしまっている人が多いんですよね。
お金とかもそうですけど、お金というものに溺れすぎて、自分に必要なお金の量を大幅に超えたお金を欲しがったりします。
なんでその額のお金が欲しいのかとか、お金を持っているほうが偉いとか…お金や外側からの評価に溺れてしまっているんですね。
自分は自分を見てあげる事をしないと、今はなしている部分は見えては来ません。
この自分を見るという事が出来なきゃ、いつになっても同じ場所を流れつくだけなんですけど、流れに乗り続けてしまっている人が多い。

外側だけに評価を求めている人は自分が映る鏡を持っていないから
『私を見て〜』
ってなっている人は、自分を見つめる事ができる鏡を持っていません。
鏡がないと自分自身の姿をみる事ができない様に、周りの人からの評価を頼りに生きていくしかなくなるんですね。
いつも外側の評価から今の自分を見つめる(知る)のではなくて、自分で自分をみる鏡を見つけた方が100万倍、自分を知ることも出来て、メイクをして自信がついて、
自分の笑顔はどんなんだろう?とか、悲しい顔はどんなんだろう?とか、自分という人間を知る事が出来て、初めて輝ける場所を探す事ができると確信しています。
目の前のフィルター、外した方がいい。まずは、自分にだけは素直になった方が100万倍良い!My鏡の見つけ方。
この鏡の見つけ方なんですけども、見つけ出す方法はいたってシンプル。
“目の前にあるフィルターを外して、自分の本音を聞き出してあげたらいいだけの事”
けど、これが中々できないんだなぁ〜
フィルター、世間体、見られかたを気にし過ぎるから、本音を言えない。
冒頭で書いた、沢山の人の前で本当に欲しいものを叫んでください。と言われて、自分の本当に欲しい物を叫ぶ事が出来るでしょうか?
これ、本当に欲しい物ではない答えを言っている人がほとんどだと思います。
または、大勢の前では言えないと黙ってしまうかもしれませんよね。
なんで言わないのでしょうか?
- 恥ずかしい。
- どんな目で見られるかわからない。
- いや、ちょっと見栄をはって言ってみよう。
などなど、本音や自分の弱い部分、突っ込まれる部分は出来るだけ隠しておきたいのが人間です。
それが、自己開示ができるか?と言う所につながって来ます。
自己開示ができない理由の1つは、建前ばかり気にしてしまうから。
『よく見られたい。』
がMy鏡を見つけにくくしているんです。
フィルターを外すこと、外す勇気は持っていますか?
なんで自分にはフィルターを外した方が100万倍いいかと言うと、答えは簡単。
そうじゃないと、目的地や自分、やりたいことや興味を持つこと、自分が輝ける場所への行き方が分からないからです。
建前というフィルターをしていては、自分の心にどんどん霧を濃くしていくだけ。
大事なのは、本音を言える勇気。
まずは、自分だけに自分の本音を言えばいい。
- 仕事行きたくない。
- 結婚したくない。
とかとか。
そこから必要なのは思うだけではなくて、100万倍良くしていくには、コツがあるんですね。
フィルターを外したその先、100万倍良くしていくコツ
例えば、【仕事をしたくない】って本音を言えるようになったら、
”自分は本当に仕事がしたくないだけなのか?”
って疑問を問いかける必要があるという事。
そして、ちょっとだけ難しいんですけど、仮説を立てるという事。
【仮説】仕事を本当に辞めたいわけじゃなくて、人が合わないだけかもしれない。
➡そうしたら、どうやって回避しよう。
➡とりあえず、自分をどんな風に思ってるのかを直接、その人と話してみよう。
とか。
すると、段々とMy鏡は見つけ出せるわけです。
よく、ドラクエとかロールプレイングゲームなんかだと霧がかかってたり、宝箱に着くまでに何度もワープさせられたりするじゃないですか。
あんな感じで、My鏡に一歩ずつ近づけていくという事なのです。
そして、その鏡を見つけられた時には、自ら選択して歩いていけるようになります。
もしかしたら、宝箱に入っている1番のお宝は、このMy鏡かもしれませんね。
自分のMy鏡を見つけれていると、迷わなくても進むことができる。
自分を見つめることで出てくる鏡。
みんなMy鏡持ってないんですよ。意外と。
だから、周りに見られる姿ばっかり気にしてしまう。
- あーあとマイナス3キロ。
- なんで自分はこんなに仕事が出来ないんだろう。
- なんで勉強できないんだろう。
- 自分はどんだけ出来ない人間なんだろう。
って考える前に、一度見てほしい事は、それは本当に自分のMy鏡で見ての答え?
って。
だって、マイナス3キロだってする必要ってどこにあるの?
- 可愛く見られたい?
- かっこよく見られたいから?
- 自分が優越感を味わいたいから?
その他に代表的なものは、勉強とか会社とかに関しての事。
- 仕事出来ないっていうのは、誰から見て仕事ができてないの?
- 間違えたからって失敗になるの?
- それを責め立てる人の基準で自分を見てるのもったいなくない?
- なんで勉強するの?
- それ、本当にしたい事?必要?
- 先生に認められたいの?
- できる人間と出来ない人間の境界線は?
- 求めているものだけ出来てたら正解なの?
基準、どこにあるの?って。
マイナスになることもあると思うんですよ、私ももちろん完璧ではないですから、悩む時も傷つく時もあります。
冷静に考えてみると、
あ、鏡見てなーい
ってなるんです(笑)
マイナスに考える様になったり、外側からの基準ベースで生きてしまうことは本能的に組み込まれているので、やめようと思っても完全になくなりはしません。
また、過去世から今までに体験してきた事が重なって、ブロックを作っちゃったり。
だから、踏み出せない理由はたくさんあるけれど、
まずは、My鏡を探す事。
自分らしく輝く為に、見つけよう、My鏡。

まとめ➜世間の評価は、自分の思い通りになんてなりゃしない。なら、自分を見つめることに意識を向けて潜在意識やMy鏡を見つける事をしていこう。
外側に自分の存在とか評価を求めて生きていくのが楽。っていう人もいると思うんです。
ですから、強制はしませんけど、言える事は1つ。
外側の評価は思い通りにはならないです。
『社長になりたい!』
って自分は思って、組織の中で行動をしていたとしても、周りからは『コイツには無理だろ。口だけで行動が伴ってないじゃないか』と心の底では思われていたり。
私、痩せてるしお肌のお手入れしたから綺麗に見えるかしらー
って自分で思ってたって、街ゆく人と会うのは初めましての人ばかりなんだから、全員が『あ、かわいい人だなー』なんて思わないです。
そもそも好みがありますからね。
痩せていればかわいいっていうのも違いますし、顔が良ければなんでもいいってわけでもない。
誰もがモデル体型の人が好みというわけでもないわけです。
こんな風に、自分が思っている以上に、世間の評価とか基準とかって全然予想していない事も飛び交ってたりするもの。
外側に基準を求める事は苦しいし、辛い。
だって普通でいないといけないから。
“普通って何?”
って言ったらみんな答えられないと思うし、答えなんてあるようでないものだと思うのです。
だったら、もっと自分のフィルターを外して、本音を知って、My鏡を見つけて未来へ進んだ方がいいと思う。
昔の私も外側ばかりに基準を求めていました。
でも、壊れました(笑)
なんでか。
“普通”にハマる事が出来なかった。
ただそれだけ。
- 今、トレンドの服~
- 勉強ができれいい会社に就職できる。
- みんながしているんだから…
- 右向け右、左向け左。
というのが興味がなくて、魅力も感じなかった。
もともと私は、小さい時から人に決められたことをやる事の意味がわからなかった奴です。(笑)
私の担任の先生は大体、頭を悩ましていたと思います。
今だからいいます。
ごめんなさい。
でも、いつからか、
世間に合わせて生きていく事、”普通が当たり前”っていう枠を自分が作り、その波に乗らないといけないものだと自分で決めていました。
その時は、本当に苦しかった。
世の中への不満は、こういう不一致から出てくる言葉。
でも、それは、自分が世間にそろえなきゃいけないという所から、一緒じゃなきゃ文句や白い眼をされる。認めてもらえない、自分の存在って?
といった、
【外側に求める自分】をよく見せたい、存在を感じたいという欲、承認欲求があるから。
内側に見つけましょう。
あなたはMy鏡、見つける事が出来ていますか?
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