先日2、3年ぶりに友人と会いました。その時に会わなかった間の事を話しながらいたんですけど、
どうも友人に会ってからあくびが止まらない私。
そんな【あくび】はこの先に起こる事の入り口に過ぎませんでした。
幽霊の声として聞こえてきた声は友人のおじいちゃんでした。
続きは↓↓
幽霊の声が聞こえた?あくびが止まらない現象。亡くなったおじいちゃんからのSOS
友人は結婚をし、子どもを連れて泊まりに来たんですが、話しながらの車の中で私のあくびが頻繁に起こっていました。

眠いん?

いや、そんな事はないんだけどー…
なんていいながら夕飯の買い物を終えて、家に帰り、なんだかんだ2、3年会わなかったのでその間にあったことや出来事を話していました。
旦那さんの話とか子どもの話とか。
この友人は2、3年の間に身内の事で色々と悲しい出来事があったようでした。
あくびが止まらない。その理由が少しずつあきらかに
友人と話していると、どうも瞼が重くてあくびが出まくりです(笑)

大丈夫?

んー。眠くはない(笑)
なんていいながら話していると、友人は目に涙を浮かべながら、

実は今年におじいちゃんが亡くなったんや。

亡くなったのは聞いてたよ。つらかったね。
友人のおじいちゃんには直接会ったことはなかったですが、友人の会話中に聞くおじいちゃんはとても頼もしく、優しいイメージが私の中にありました。
そして、幼い時はおじいちゃんの家で過ごした記憶が多いというのも聞いていました。
ですから、おじいちゃんの死は友人にとってはとても辛かったのだろうと思っていたのですが、そのあと、友人から聞いた言葉は私の中では衝撃的でした。

おじいちゃんな、自ら命を絶ったんや。
会話の中で感じた違和感と葛藤。幽霊からの声?
友人のおじいちゃんは病気も抱えていましたが、とても力強く生きていたと亡くなる1週間前に会いに帰った時に感じたといいます。
が、友人がこちらに帰宅して間もなくに電話が鳴り、聞かされた事が
"おじいちゃんが亡くなった。
そして、電動ベッドに紐をくくりそのまま自分の首もくくっていた。"
という亡くなり方でした。

本当、精神的にやばかったわ。

…そっか。

首をくくった人の死顔は本当に鬼よ。
でも、おじいちゃんはまだ、安らかな顔してたわ。

そうなんだね…
安らかなお顔でよかった。
この友人、実は親戚のお姉さんも同じ亡くなり方で亡くしています。
その時は私も20代前半。
その報告は当時、聞いていました。
お姉さんを一番先に発見したのはおじいちゃんだったそうです。
友人はそのお姉さんにとても可愛がってもらって、なんで自分がお姉さんの苦しさなどに気を配れなかったんだろう。
そう言っていたのを思い出しました。
お姉さんの最期の顔はとてもじゃないですが、安らかと言う言葉ではなく、苦しみ、怒りの言葉が当てはまるお顔だったそうです。

苦しかったんだと思うわ。
それに比べたら、おじいちゃんはまだマシなほうよ。
私はこの内容を聞くのと同時ぐらいから気になる事がありました。
けれどこのタイミングで言っていいものなのかと自分の中で葛藤をしていました。
自分も同じようになるのではないかという不確かな確信。幽霊として現れたおじいちゃんの声?
自分の中で葛藤していた事。
それは、
"次は〇〇(友人の名前)の番や。だから、、、"
という男の人のような声。
え…(゚Д゚;)!?
いやいや、
声の次には映像。
その映像は真っ暗な中に二人の人影です。
けれどこの状況で言うのもな~(゚Д゚;)
なんていうのを自分の中で葛藤していました。
けれど、内容が内容ですから、思い切って言い出しました。

ごめん、○○(友人の名前)、こんな状況で申し訳ないんだけど、
さっきから気になる事が…

何?

ごめん、おじいちゃんかわからないけど、
次は〇〇だって言ってる…
すると、友人は悟ったように

…うん。わかってる。
そうやろなーって薄々感じてたわ。
友人は私が言った言葉に1ミリも驚きはしませんでした。
そんな友人に私が驚いていましたが、友人の口からは淡々と次は"自分"が自ら命を絶つのだと思う。といいます。
この友人、見た目は全然そんな感じしないんですよ。
姉御肌だし、しっかり者だし。
けど、元気に見える表側の下の顔は今にも崩れそうな顔をもって暮らしていたんだと思いました。


自分の心に蓋をし続けたら、自分の感情がわからなくなった友人
外に見せる顔だけでは中々、友人の心は見えません。明るく振舞っていますし、強がって生きているから。
でも、その裏側では蓋をしてはまた蓋をしては繰り返しの日々。だったんだと思いました。
友人はいつしか自分の心がわからなくなったようで、
何が楽しいのか
何が幸せなのか
何がしたいのか
さえ分からないと。
このまま消えたい。
けど、子どもがいるから持ちこたえているとも。
そんな友人の〇〇が思いつめていたこと、周りに手助けが必要な事、
"自分から命を絶つのでは無いか"とおじいちゃんは心配していたのかもしれません。
もっと気を抜けよ。
と言う事を伝えたかったのかもしれませんね。


守られる側と護る側の責任の重さとギャップ
人は生きていると、沢山の経験をして、悲しい体験をします。
はじめは何も分からない幼少期を送り、人の痛みをわかる思春期、そして、今度は自分の人生を歩んでいくために仕事も社会も学びます。
そして、家族を作り、その家族を守る。
今まで親や周りの人に守られて生きてきて、そして次は自分が守る側に立たされます。
"守られていた"から"護る"という位置にうまく立てなかったり、今までの場所からのギャップに中々馴染めなかったりします。
それには時間も勿論ですが必要であり、周りの協力だって必要です。
人は完璧ではありません。
完璧でないからこそ、失敗をして、立ち直っての繰り返し。
何も恥ずかしいことなんてないんですよ、
それを後ろ指さされようとも。
陰口たたかれようとも。
必死に生きている証拠だと思います。
焦ることなんてなんも無いんです。
複雑に絡み合った何か。おじいちゃんが教えてくれた事と今後
一度落ち着いた私達は
一度の人生で二回も自ら命を絶つ人を親族にもつなんて不思議だよね。
という話に2人でなったんです。
それに、おじいちゃんの亡くなり方が親戚のお姉さんと似ている事、第一発見者がおじいちゃんということ。
"何かあるという何とも言えない状況"に二人で顔を見合わせてしまいました。

そういえば…私な…
と友人は出身の話になりました。
その友人の幼少期は、昔から根付く差別されるような場所に住んでいたこともあったと。友人の先祖はその差別にとても苦しんだそうです。
話を聞く中で、家系的にも土地的にも何か関係があるように感じました。リーディングしているわけではないので、あくまで会話の中での判断でしたが、
このまま放って置くととてもマズイ方向にいくのはリーディングしなくてもわかります。
ですが、まず、この友人は自分の心の整理が必要です。
自分の心がしっかり地についていなければ、現実面も動かしてはいけないからです。
また、護っていきたいと言う強い思いがなければ、家族を護っていくのは厳しいです。
自分を強く持つことも打ち勝つ為の1つの材料であり、重要な部分だからです。
その強い気持ちと、護りたいという気持ちがわいてきたら今後の相談をしていこうということでこの話は終わりました。
その後は楽しい会話と友人の子供に癒しをもらいました(笑)

まとめ
今回は私の友人のお話でした。
この友人は今、心の葛藤をしながら良い方向へ行けるように、今、一歩一歩、歩みだしています。
時に後退しても、また一つ、また一つと歩いています。
この友人のように悩む人はたくさんいると思います。
けれど、格好が悪くても、必死にある事に意味があります。
少しずつで構いません。
その一歩が重要なんですよ。
●お問い合わせ●
コメント